【2019.9月号】社会保障費が伸びるのを何故問題視するのか? 対GDP比にみる国際順位は決して高くない
最近のマスコミ報道の傾向をみると、2017年度の社会保障給付費が120兆円を超えたとして、なにか国の将来に暗雲があるかのような論調である。
そのためか、財務省と厚生労働省が経済財政諮問会議の意向を受けて、来年度予算で見込まれる社会保障費自然増の5300億円を1200億円以上削減する方針を打ち出していることには無批判で、逆に膨張する社会保障費を抑えるためには「給付と負担の見直し」、例えば高齢者の自己負担増が必然だとする論調が多い。
だがよく考えてみると、高齢化による自然増を削減するということは、その増加分を誰かが負担することになり、現政権下では企業の負担増よりも個人の負担増、特に保険料負担や窓口負担の増へと誘導されている。さらには医療費が膨張しているというお決まりの危機感を煽って診療報酬のカットが前提という話が出てくる構図である。
では、GDP世界第3位という日本の社会保障給付費は、他の先進諸国と比較して高いのであろうか。国際比較は対GDP比でみるというのが世界標準であり、OECD36カ国で見ると最新の2018年でやっと14位である(中国やロシアは社会保障費を見る限り社会主義経済体制のためこの対象国には入っていない)。
OECD内では米国に次ぐ第2位のGDP大国の日本が、対GDP比(社会支出費)で見ると順位が中位というのは、要するに税(公費)からの義務的支出が相対的に低いだけであって、医療や介護、家族給付、住宅、障害者や母子家庭への公的給付が少なく、逆に個人の負担が大きいということである。
対GDP比順位の高い西欧諸国も例外なく高齢化社会にありながら、わが国と違うのは企業の保険料負担や国税からの支出がそれなりに確保され、国民個人の生活費負担が抑えられている構造になっていることである。
そこで歴代政権の擁護派、消費税増税論者によってよく言われるのは消費税の負担が大きい西欧諸国(米国を除く)では社会保障が手厚くて当然であり、消費税率が低いわが国のでは社会保障の財源が制限されるのは仕方ないという論理である。
しかし多くの西欧諸国の消費税は、日々の暮らしに係る食料品など生活材には免税ないし軽減税が採用されている。また企業の社会保険料負担も労使折半の日本よりずっと多い。
日本の社会保障の現状について専門家の分析で一致しているのは、高齢化率の急速な上昇にもかかわらず社会支出が抑制されてきたということである。これは周知の如く世界一の健康水準が、薬価を別として安価な診療報酬で支えられてきたことにも現れている。また低所得者の生活保護(扶助)捕捉率が西欧諸国に比べかなり低水準であること、安価な公共住宅が少ないこと、子育てへの支援が少ないこと、貧困の連鎖を生む高い教育費など若者や家族向けの社会支出が少ないことで、逆に国民の負担が高く、格差を生む一因になっている。
わが国では、現状の社会保障支出抑制策が暗雲をもたらすとすれば、こうした経済格差の拡大による社会不安の増大である。それは大学や専門学校を出ても結婚できない世代が増え、生活費を切り詰めながら低年金で生きる高齢者や低収入にあえぐ障害者が増えているなど、アンダークラスと言われる新たな低所得階級が増えてきている実態に反映されている。この国の将来にかかわる本当に深刻な社会問題となっている。
この問題の解決は、さまざまな優遇税制で中小企業より実効税率が軽減されている大企業負担を元に戻し、内部留保の一方の原因である非正規労働や低賃金をなくし、雇用や住宅の確保のための社会支出を増やし、若者も、子育て世代も、高齢者も安心して生活できる福祉国家の実現を図ることでしかないであろう。