【2012.8月号】東電の電気料金値上げ決着に異議あり
政府は東京電力からの家庭向け電力料金の値上げ要請にたいし、この9月1日から平均8.47%の値上げを認めることを決めた。
32年ぶりの値上げとはいえ、5月の10.28%という値上げ申請後3ヶ月を経ずして実に速やかな政治決着が図られたことに疑問を感じない訳には行かない。この間開催された公聴会でも東電への批判が集中し、被災者への賠償支払いも滞っているにもかかわらず、である。
同じ公共料金である診療報酬の4月改定の引き上げ幅が0.004%だったことと対比してみると、政府の大企業優先の姿は誰の目にも明らかである。
値上げの理由となっている項目は、原発事故によって火力発電にかかる燃料費が増加していること、福島原発事故後の処理費用や廃炉費用の増加が見込まれることが主たるものである。しかし、こうした費用が全て一般家計を圧迫する料金値上げ額に算定されてよいのか疑問がある。
今冷静に考えるならば、消費税引き上げに先んじて電力料金の値上げを行なうことは何かの狙いがあるのかと思わざるを得ない。電力も国民にとっては生活必需品の一部であり、「エネルギー弱者」である国民はいやでも使わざるを得ないものである。
料金値上げの狙いの中には、今原発を再稼働しないと電力料金の値上げという事態になるのだ、という国民への脅しと受けとらざるを得ない。
振り返ってみると、原発事故以来、いやそれ以前から東電など電力業界の事故隠しの体質は企業モラルに反するものであった。つい最近もエネルギー公聴会で中部電力の社員が「去年の福島の事故で、放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない」「だから原発は25%~30%」と発言したことが報道されたが、「原子力ムラ社会」すなわち「電力ムラ社会」の常識は一般社会の常識とかけ離れてしまっている。
政府は1兆円の出資をして東電の経営権を掌握し、事実上国有化するという。それだけの税金を投入するのであれば、今、国民への負担を押し付ける電力料金の値上げをする理由はないのである。
医療人として、電力の安定供給は人の生命にもかかわる一大事であることは十分に理解している。と同時に、震源域や活断層の上にある原発の再稼働には強く反対せざるを得ない。当面の電力の不足は、無駄な電力使用を控えるため国民の協力を得ることで克服して行く道を選ぶべきであろう。