【2015.2月号】一層の負担増と受診抑制を迫る医療保険制度改革法案の撤回を
第3次安倍政権が発足して最初の法案が、予想されていたことだが、厚生労働省が社保審医療保険部会に示した医療保険制度改革法案である。
安倍政権の任期中となる2016年からの3年間に順次実施するというが、来年には入院食事代の1食200円引き上げ、500床以上の病院に紹介状なしで受診すると5千円~1万円の追加負担、それと新たな混合診療である「患者申出療養」の3つがスタートする。
さらに2017年からは、後期高齢者のうちの低所得階層約865万人の保険料の「特例軽減」を廃止し、現行保険料の2~10倍の負担増が予想されることになる。
最後の2018年には、国保の運営責任を都道府県に移管し、医療の供給体制の見直し、すなわち病床削減と医療費支出の削減を中心にした医療費適正化を図ろうとする法案である。
これらの改革法案の本質は、一層の負担増、混合診療の導入の上に、供給体制の削減で在宅以外に行先の無い患者をつくりだすことで、国民皆保険制度を形骸化させることにある。
すなわち、経済的な余裕のない国民はこれまでと同様のレベルの医療を受けられないことを意味している。さらには、医師の判断で必要となった患者の入院医療が保障されない、受け入れ先がない事態を招くことも明らかである。
どうしてこのように経済的弱者に冷たい法案が出てくるのか、その背景にある政治哲学は何なのか、考えてみる必要があろう。
最近のベストセラー、堤未果氏の「沈みゆく大国アメリカ」で紹介されたアメリカ医療の姿は驚くべきものである。石油、農業、食、教育、金融のそれぞれの分野で進められてきた超富裕層や多国籍企業による貪欲な収奪のゲームが、その最終章でいよいよ医療に向かっている姿が描かれているが、そこにあるアメリカ流の徹底した自己責任論が、安倍政権の改革法の根本にあると考えざるを得ない。
つまり、高い健康保険料を払える収入の多い仕事に就けなかったことがそもそも自己責任で、病気になったのも自己責任、必要な医療費が払えないのも自己責任、医療を受けられずに早死にするのも自己責任、というアメリカ社会の後を追っているのではないのか、ということである。
日本では、貧富の差が命の格差という悲劇の原因にならないようにという国民的合意の下で、今から54年前に国民健康保険の全国的発足によって国民皆保険制度が確立したのである。以来、まがりなりにも守られてきた日本の皆保険制度が事もなげに崩されようとしている。日本は日本らしいやり方で国民の健康を守り、決して冷酷な市場原理主義の上に 成り立つアメリカ医療の轍を踏んではならない。
そのためには、「オール医療界」の共同共闘体制を作り、医療保険制度改革法を撤回させる運動を巻きおこすことが当面の課題となっている。